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津地方裁判所四日市支部 昭和37年(ワ)118号 判決 1963年11月14日

原告 内田志づ 外二名

被告 松永悟 外一名

主文

一、被告等は各自

原告内田志づに対し金二五万七四〇二円、

原告内田淳に対し金二五万七四〇二円、

原告堀田礼子に対し金二〇万円、

及び右の各金員に対する昭和三七年一〇月一七日から支払済まで年五分の割合の金員を支払うこと。

二、原告等のその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用は二分し、その一を原告等の、その余を被告等の負担とする。

四、この判決は第一項に限り仮りに執行することができる。

事実

(双方の求める裁判)

一、原告等三名

(一)  被告等は各自、原告内田志づに対し金九〇万円、原告内田淳に対し金七〇万円、原告堀田礼子に対し金六〇万円及び右各金員に対する本件訴状が被告等に送達された日の翌日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  訴訟費用は被告等の負担とする。

(三)  仮執行宣言。

二、被告等両名

(一)  原告等の請求を棄却する。

(二)  訴訟費用は原告等の負担とする。

(争ない事実)

一、原告内田志づ(大正七年一月二四日生)は後記する本件事故により死亡した内田進の遺妻であり、原告内田淳(昭和二〇年八月二五日生)は内田進と原告内田志づ間の長男で現在高等学校在学中のものであり、原告堀田礼子(昭和二四年一月九日生)は内田進と原告内田志づ間の長女で現在中学校在学中にして本件事故後に堀田つぎの養子となつたものである。

二、被告会社は多数の貨物自動車等を所有してバラセメント等の貨物の運送を業としている会社であり、被告松永(昭和一六年一一月一日生)はその使用人として被告会社の貨物自動車の運転業務に従事しているものである。

三、内田進(大正三年一二月二日生)は郵政事務官として三重県三重郡菰野町所在の孤野郵便局に勤務し同局局長代理をしていたものであるが、昭和三七年一月一六日、集配局員不在につき自ら速達便配達のため同局備付の第一種原動機付自転車(一九六〇年式スズキセルベツト登録番号菰野町第〇六九五号、以下本件自転車または前車という)を運転して午後二時頃、四日市市桜町智積町地内県道を北方より南進し関西電力三重保線区事務所前において右折したところ、被告松永の運転するバラコンクリート輸送途次の被告会社大型ダンプカー(日野六一年愛一あ七八九〇号以下本件自動車又は後車という)が同様北方より南進し来り右自転車に衝突した。右衝突現場付近は舗装された見透し十分のところで、また、該道路の制限速度は昭和三五年三重県公安委員会告示第五七号により三二粁となつていた。

四、そのため内田進はその場に転倒し、本件自転車は大破し、同人は転倒打撲による頭蓋骨折及び脳内出血を引き越し、直ちに通行中の車で最寄りの同市桜町所在石川病院に収容されたが、翌一七日午後一時二〇分頃、右損傷のため死亡するにいたつた。同人の死亡時の年令は満四七才一ヵ月余であつた。

五、内田進の葬儀に当つて被告松永は香典として金二〇〇円を供し、被告会社は果物缶詰の盛物、花輪及び香典一万円を供するとともに葬式費用の一部として一万四七〇〇円を支弁した。遺家族たる原告等にはその後、自動車損害賠償保障法(以下自賠法という)に基づく自動車損害賠償保険金五〇万円及び国家公務員災害補償法(以下災害補償法という)に基づく災害補償金七六万円がそれぞれ支給された。

六、その後、本件事故について四日市警察署は被告松永に対する業務上過失致死被疑事件として津地方検察庁四日市支部に送致したが、同支部は同被告に過失の嫌疑不十分として不起訴の処分をした

七、原告等は

原告等は本件事故につき被告松永に対しては同被告に過失があつたことを理由に民法第七〇九条ないし第七一一条により、被告会社に対しては自賠法第三条本文、民法第七一五条第一項本文により、原告等が均等に相続した内田進の財産的損害中四〇万円宛及び原告内田志づが蒙つた精神的損害に対する慰藉料として五〇万円、同じく原告内田淳の慰藉料として三〇万円、同じく原告堀田礼子の慰藉料として二〇万円を本訴にて請求すると述べ若し内田進に過失があつたとしても被告松永の過失がより大であつたと述べた。

八、被告等は

本件事故につき被告松永に過失なく被告会社にも何ら責任ないから原告等の本訴請求は本来失当のものであるが、仮りに被告松永に多少の過失ありとしても内田進の過失は更に大であり、その双方の過失の比重は同被告分を四分の一、内田進分を四分の三と判断するのが相当で、この割合で内田進の損害を按分するときは既に自賠法による保険金及び災害補償法による補償金によつて填補され消滅しているからこの点においても失当の請求であると述べた。

九、なお本件訴状送達の日の翌日が昭和三七年一〇月一七日であることは本件記録上明らかである。

(争点)

一、原告等の主張

(一)  本件事故は被告松永の過失に起因したものである。

即ち、

被告松永は制限速度三二粁を超えた四〇粁以上の速度で本件事故現場付近を進行中、数十米前方に本件自転車が同方向に遅い速度で進行しているのを認めこれを追越そうとしたものであるが、このような場合、自動車運転者である同被告としては前車との距離、間隔及び前車の動静をよく注視して接触、衝突などによる事故の発生を未然に防止すべき義務があるのに拘らず、同被告は本件自転車が直進するものと軽信し、警笛も吹鳴せず漫然同一速度で進行したため、右自転車が右折したのも気付かず、本件自動車の前部バンバーの左側を本件自転車の後部荷台に追突させるにいたつたものであり、本件事故は結局、同被告の速度違反の運転と前方不確認や警笛不吹鳴の注意義務違反の行為により惹起されたものと言わねばならない。

この場合、内田進が右折の合図をしたかどうかは同人が死亡しているのでこれを明らかにするをえないが仮りに同人が何らの合図をせずして右折したとしても、およそ進行中の車が突如として直角に右折することは物理的に出来ないのであるから同被告においてよく前方注視の義務と制限速度を守つて本件自動車を運転していたものなら必ずや同人の右折の状況を確認しえたであろうし、本件事故の発生を避けえたはずのものと言わねばならない。

(二)(1)  被告会社の主張(二)の(1)は否認する。

(2)  同じく(二)の(2)は否認する。被告会社は本件自動車の運行に関し注意を怠つていたものである。即ち、

被告松永は平素から乱暴運転の風評があり、一八才当時に人身事故を起して昭和三五年八月一七日から同年九月五日までの二〇日間、運転停止の行政処分を受けている者であるし、また本件事故当時は二〇才で大型自動車の運転免許取得後日も浅く経験も少なかつたのであるから、このような少年に一般トラツクより遙に大型バラセメント用ダンプカーを助手もなく長い田舎道を単独運転させるというのは慎重な交通会社、運輸会社ならばなさないところであるし、また運転手として採用もしないところである。被告会社は被告松永に安全教育をし監督充分というが、たとえ被告会社のいうとおりのことが施されていたとしてもそれは当然のことであつて特筆するに当らないことである。

(三)  本件事故により内田進の蒙つた財産的損害と原告等の相続

内田進は三重県立富田中学校、東京都中野高等無線通信学校を卒業し無線技術員として船会社に勤務したこともあつたが昭和一三年からは菰野郵便局に勤め最後には同局局長代理をしていた極めて健康な男子であり郵政事務官としての死亡時における平均年収は諸税を控除して五五万三三三六円であつた。よつて右から同人の年間生活費として三分の一を控除し、同人の就労可能年数一二年間に郵政事務官として勤務したら得たであろう利益を計算すると四四二万六六八八円となり、これを現在時において一時払いを受けるとしてホフマン式計算法(単式)により計算すると二七六万六六八〇円となる。従つて同人は被告等に対し本件事故により二七六万六六八〇円の損害賠償請求権を有していたものである。

しかして原告等は同人の死亡により右請求権をいずれも三分の一宛相続したが、すでに自動車損害賠償金として五〇万円、公務員災害補償金として七六万円を受領したからこれを控除し、なお残額があるから原告等はいずれも四〇万円宛を被告等に請求できるのである。

(四)  本件事故により原告等の蒙つた精神的損害と慰藉料額

原告内田志づは昭和一九年三月内田進と婚姻し爾来円満な夫婦生活を営み来りようやく初老に入らんとして益々頼るべき人の必要な境遇にあるのに一朝にしてその頼るべき夫を失い殆んど失神せんばかりに驚き呆然自失なすところを知らずその精神上肉体上蒙つておる苦痛はいやすに途なく日々悲嘆の生活を送つている有様であるが、その慰藉もこれを金銭に求めるほか方法なく、これを金銭に見積るときは、最少限度金五〇万円の慰藉料額となるものである。

また原告内田淳、同堀田礼子は共に未成年のところ一家の大黒柱にして最愛の父を失つた悲しみは想像を絶するものがあり、その精神上の苦痛を金銭に見積るときは原告内田淳の分は金三〇万円、原告堀田礼子の分は金二〇万円とするのが相当である。

なお被告等は被告松永が不起訴処分となつたことを楯に示談解決にいささかの誠意も示さず非礼的言動多く、自賠法による保険金及び災害補償法による補償金のみをもつて事足れりとし、事故を日常茶飯事の如く慣れて生命を軽視している。原告等としてはやむなく本訴を提起しているものである。

二、被告等の主張

(一)  被告松永の反論

原告等の主張(一)は否認する。即ち、

被告松永は本件自動車を時速三〇粁程度で運転し本件事故現場に差しかかつたのであるが、その際、前方を約二、三米位距てて同じ方向に向つて並行南進していた本件自転車が何らの信号もせず運転者において後ろも振り返えらず突然直角に右折したので同被告は急きよ急停車の処置をしたけれども余りに近距離であつたためこれを避けて停車することができず本件自動車の左前照灯の下部と本件自転車の後輪右側部と接触するにいたつたもので同被告にとつては不可抗力という外はない。交通法令上も、道路を右折横断しようとする場合は右折しようとする直前三〇米位で道路の中央に寄り、かつ信号をし、左右の安全を確認してはじめて右折すべきこととなつており、内田進はこの規則を守らず、ためにこのような事故となつたのであり、同人が右の規則に従つた右折方法をとつていたなら必ずやこの事故は起こらなかつたはずのものである。本件事故につき津地方検察庁四日市支部が同被告を不起訴処分としたことからも、同被告に過失がないことは明らかである。

原告等は本件自動車の事故時の時速を四〇粁以上というが、権威ある財団法人全日本交通安全協会の調査によれば時速三〇粁の自動車が急停車してもそのスリツプ距離は一〇、四米とのことであり、右の調査結果と本件現場に残されたスリツプ痕が七、四米だということと考察すると、原告等の主張の当らないことは明らかである。

(二)  被告会社の主張

(1) 本件事故は被害者内田進の過失によつて惹起されたもので運転者被告松永にとつては不可抗力の事故である。その詳細は被告松永の反論(一)と共通である。

(2) 被告会社も被告松永の選任監督及び本件自動車の運行につき周到な注意を払つていた。即ち、

被告松永は昭和三二年一一月一五日自動三輪自動車の運転免許を、同三四年一一月二五日第一種大型自動車運転免許を受け、その後他に雇われて大型自動車の運転に従事していた者であつたが、昭和三五年七月二一日頃、被告会社は同被告を先ず履歴の検討、クレペリン反応検査による自動車運転の適性検査及び学力テスト等をし、次いで前歴照会、身元調査をし、更に試用期間二ヵ月を置いて面接試験をした上で採用と決め、被告会社の大型貨物自動車の運転に従事せしめていたものであり、このような厳重な試験を施した後も大型貨物自動車の事故防止のため春秋二回、交通安全週間においては警察から交通課の係官を被告会社に招いて自動車運転に関する注意事項の講演や映画の映写をやつて貰うのみならず運転者の遵守すべき事項を印刷して運転者に配布しその趣旨の徹底をはかつており、また月間無事故の運転手たちには一ヶ月金五〇〇円の無事故奨励手当を支給する等の方策を講じていたのである。

被告松永は今日まで一回も道路交通法令に違反したことはなく、性格は温和で運転も非常に慎重であり被告会社内においても将来を嘱望されている評判の青年運転手であり、このことは同被告が前記無事故奨励手当を長期にわたつて得ていたことによつても明らかで、原告等のいうような風評は絶対になかつたものである。

原告等は同被告を年少者言々というけれども、運転資格は公安委員会が法令に基づき厳格な試験の上で付与するものであるから、資格者については年令を問わず運転に充てることは業界の通例であり、何ら非難さるべき筋合いではない。

(三)  原告等の主張(三)のうち内田進が郵政事務官になるまでの学歴、経歴、健康状態及びその収入額は知らない。その余の事実は否認する。

(四)  原告等の主張(四)は否認する。

被告会社は本件事故について被告松永にとつて不可抗力の事故と確認しているが、いずれにせよ内田進が痛ましい不慮の死を遂げられたことに対しては道義的にも適当の慰藉をすべく考え、入院中もつききりで看病し、葬儀にも参列して弔問し、引続き示談交渉を進めていたものであり、すでに自賠法による五〇万円の保険金支払いもしているのであるから誠意に欠けるところはない。被告会社としては近時交通の輻輳から不測の事故は避けがたく、よつて事故の処理については誠心誠意を披歴して解決に当つて来たが、本件だけが訴訟となつたのは遺憾である。

(証拠)(省略)

理由

一、原告等の主張(一)は理由がある。即ち、

(一)  前記争ない事実三に成立に争のない乙第五、第六号証、同第一〇号証の二、五及び六、証人住友惣吉の証言、被告松永及び原告内田志づの本人尋問並びに証拠保全及び検証の各結果によれば

(1)  本件事故現場付近は舗装された幅員約六、五米の県道で右県道の東側は事故発生地点から北方約百米余及び南方約数百米近くは田んぼにして人家なく、県道の西側も事故発生地点から南方には関西電力三重保線区倉庫があるのみで倉庫より以南は県道東側と同様約数百米は田んぼが続き人家もないという単調な田舎道であるが、当時、公安委員会により制限速度は三二粁とされた道路であること、そして被告松永は被告会社の業務として一日平均二回程度右県道を本件自動車を運転して通行し、右のような本件事故現場付近の地理や交通状況については日頃明るい運転者であつたこと

(2)  事故当日、被告松永はセメント六屯を積載した本件自動車を運転して菰野方面から四日市市方面に向け右県道を南下しつつ本件事故発生現場付近に差しかかつたものであるが、当時の時速は四〇粁程度であつたこと。その際約一六米前方に、右県道左側端を同方向に南進する赤色に塗装した郵便配達用の本件自転車を発見したが、発見時の同被告の印象では右自転車の速度はのろのろとした感じであつたこと及び当時、対向車はなかつたこと

(3)  そこで同被告は右自転車の追越しにはいつたが、同被告は右自転車は直進するとばかり判断していたので右自転車の運転者が同被告の車に気付いていないことは認識していたが特に警笛も吹鳴せず、また進路を道路の中央に少し寄せて右自転車との側方間隔を大きくする等の措置もとらずそのままの速度、そのままの態勢で進行したこと

(4)  衝突地点は県道西側にある関西電力三重保線区正門の北側の門柱前であり、衝突箇所は本件自転車の後部にある荷台の右後端と本件自動車の前部バンバー左半分のほぼ中央付近であり、このことから衝突直前には本件自転車は本件自動車の進路上を横断しようとしてほぼ斜めにその進路に入つていたものと推認されること

(5)  しかるに同被告は衝突音を聞いてはじめて結果的に本件自転車が自己の進路上に進入していたことを知つたこと、(なお乙第一〇号証の六によれば同被告は本件自動車は右ハンドルであるので本件自転車をフエンダーの陰に見失つたと取調官に供述しているが、右認定の衝突箇所からするときは、同被告が本件自転車の動静をよく注視していたとすれば本件自転車はともかくとして、内田進の上体程度は本件自動車のボンネツトの前方辺りに瞬時ながら発見しえたはずのものと推認される)

(6)  内田進は二年程前から運転免許を取り、毎日菰野郵便局への往き帰りに自己の原動機付自転車を利用していたものであるが、当日はたまたま配達員差支えのため自ら菰野郵便局から同局備付けの本件自転車を運転して電報二通及び速達二通の配達に出かけ、うち三通を配達し了り最後の関西電力三重保線区事務所宛の速達便一通の配達のため本件現場付近に差しかかり右保線区正門に入ろうとして前記県道を右正門の北側門柱前あたりにおいて右に横断しようとしたものであること

(7)  その際、同人は横断しようとする地点より手前において県道の左側端を遅い速度で進行していたことまでは認められるが、横断の合図をしたか、後方の確認をしたかはこれを目撃したものはなくいずれも不明で、本件事故の態様からするとむしろ何ら横断の合図をせず、かつ、後方の安全の確認を怠つたまま横断をはじめたもの、仮りに同人が横断の合図をし後方をふり返えつたとしてもその時期は遅きに失したと推認すべき状況下にあること

(8)  本件現場には本件自動車が急制動をかけたため生じた右自動車の前輪タイヤによるスリツプ痕が約七米、右自動車の右側前輪が本件自転車の前輪を押しながら停車したため自転車によつて道路の舗装面に残された擦過痕の長さは、約七、四米であつたこと

以上の諸事実が認定でき、被告松永の本人尋問の結果及び証人後藤敏昭の証言中本件自動車の当時の時速が三〇粁程度であつたとの供述部分は前掲乙第一〇号証の二及び六に対比して信用しがたく、また成立に争ない乙第七号証の三及び証人加藤道夫の証言によれば、自動車の速度と制動距離との間に或る一定の原則的な相関関係があり、このことから制動距離をもつて時速を推し計ることがある程度可能なことは認められるけれども、(このこと自体に異論をさしはさむものではないが、)しかし右はあくまでも原則論であつて、その時々の車両の側における種類、構造、積載量及びタイヤの空気圧の高低等々、運転者側におけるブレーキの整備状況及びその操作上の要領等々、外界におけるその時の天候及び路面状況等々無数の諸条件の下に、更に本件のように障碍物と衝突し、これを押し進める等の条件が加わつたときは右の原則論をそのまま適用することには躊躇され、事件当時速度がどれだけであつたかという極めて技術的な事柄については原則論もさることながら、当の自動車の運転者において、事故時に接着した時期に原則論より計上したところの速度より自己に不利益な速度を任意供述しているようなときは、虚偽性の介在する余地も少く、原則論を棄ててこれによるのが相当であり、右証拠も前認定の妨げとはならず、他に前記(1)ないし(8)の認定を左右するに足る証拠はない。

(二)  そこで以上の認定事実を総合すると、本件事故は内田進と被告松永との双方の過失に基づいて発生し、その過失の度は内田進の二に対し被告松永は一の割合であると判断される。即ち、

(1)  内田進の過失

道路交通法第二五条第一項によれば車両は他の車両等の正常な交通を妨害するおそれある場合は横断することを禁じられており、このようなおそれのない場合に横断しようとする際は同法第五三条第一項により当該車両の運転者は手、方向指示器又は灯火により合図をし、かつ、横断し終わるまで当該合図を継続しなければならないとされており、更に道路交通法施行令第二一条によればその合図を行なう時期は横断しようとする地点から三〇米手前の地点に達したとき、とされ、その合図の方法は右腕を車体の右側の外に出して水平にのばし、若しくは左腕を車体の外に出してひじを垂直に上にまげること、又は右側の方向指示器を操作すること、とされているものであり、また横断は結局は右に折れることによつて行なわれるのであるから、更に右折の方法がこの場合に類推適用されると解するのが相当で、第一種原動機付自転車の運転者の場合は道路交通法第三四条第三項により予めその前からできる限り道路の右側に寄り、かつ左側端に沿つて徐行しなければならないこととなるのであり、これら詳細な規定の存することは結局、道路を横断しようとする運転者に進路の側方或いは後方に対する安全を確認することにより事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務あることを示すものにほかならない。

しかるに内田進は第一種原動機付自転車の運転者として道路横断をする際の右の注意義務を怠り、何らの合図をせず、かつ後方の安全も確認せず横断をはじめた過失があり、仮りに横断の合図をし後方の確認をしたとしてもその時期において極めて遅きに失した過失があり、ために後車の進路直前に進入し本件事故を惹起したものといわねばならない。

(2)  被告松永の過失

(イ) 前車たる本件自転車は軽便自在な動きを取柄とする第一種原動機付自転車であつたということ

(ロ) しかもそれが戸口から戸口へと廻る郵便局の配達自転車であり、関西電力三重保線区正門より以南には左右に立寄るべき戸口も暫くは無くなるということ

(ハ) 更に第一種原動機付自転車の最高速度は道路交通法施行令第一一条によると毎時三〇粁と定められているところ、本件自転車は本件現場付近のような見とおし十分にしてかつ舗装された道路を対向車もないのに左側端に寄つて、かつ、のろのろと感じられる位の遅い速度で進行していたということ

(ニ) しかして前車の運転者は後車に気づいていない模様であること

以上のような諸般の状況から、同被告としても前車の動静に注視しつづけるときは、前車は横断に移行するための徐行の態勢にあるか、さもなくばよほどの運転未熟者と判断できたはずであり、そうだとすると、このような前車の追越しをしようとするに際し

(イ) 前車が低速である以上後車において或る程度減速しても充分追越しができるということ

(ロ) まさに道路交通法第五四条第二項但書の危険を防止するためやむを得ない場合として警音器を吹鳴して後車の接近を知らせ前車の注意を換起すべき場合であるということ

(ハ) 道路交通法第二八条、第二条二一号によると進路を変えないでそのまま直進し、追いついた車両の前方に出るいわゆる「追抜き」は同法の認めないところというべきであるし、また現場付近の県道の左側部分の幅員は三米をわずかに越す程度のところであるから、後車が大型車であるということ、対向車も無いということを考え併せ、当然、自己の進路を変えるべきだということ

以上のいずれかに思いを致し適切の措置もとりえたはずのところ、同被告が何らの措置もとつていないということは同被告は前車の動静を注視していなかつたものと推認され(そのため前車が衝突直前に進路上に入つていたことも気付かなかつたと思われる。)この前方注視を怠つた結果、同被告はただ前車は直進するものと軽信し、現場付近の道路の良好なことに馴れて極めて弛緩した精神状況下にただ漫然と、同一速度、同一態勢で警笛も吹鳴せず進行したものということができ、この点に同被告もまた過失があつたといわねばならない。しかして同被告の右の過失は内田進の前示過失によつて全免されうるものではなく、その過失の度は内田進の二に対し一の割合であると判断するのが相当であり、同被告に過失ありと認められる以上、同被告は直接の加害者として内田進の生命侵害による損害を賠償すべき義務あることとなる。

二、被告会社の主張(二)の(1)、(2)はともに理由がない。即ち、

自賠法第三条但書によると自動車の保有者は(1)自己及び運転者が自動車の運行に関し注意を怠らなかつたこと、(2)被害者又は運転者以外の第三者に故意又は過失があつたこと(3)並びに自動車に構造上の欠陥又は機能の障害がなかつたことの全てを証明するのでなければ損害賠償の責任を免れることができない。そうだとすると、本件事故につき被告会社運転手たる被告松永に過失があつたことが前示のとおり認められた以上、取りも直さず、被告会社として被告松永に過失がないことを立証できなかつた場合であるから(1)の主張は認められず、(1)にして認められない以上、もはや被告会社が被告松永の選任監督及び本件自動車の運行につき周到な注意を払つていたとしても責任を免れえないのである。

三、原告等の主張(三)は認められない。即ち、

(一)  争ない事実一、三及び四に原告内田志づ本人尋問の結果並びに成立に争ない甲第五号証の一、二及び第六号証を綜合すると

(1)  郵政事務官として内田進の死亡時における平均年収は五五万三四二八円であること

(2)  同人の年間生活費として右年収から三分の一(一八万四四七六円)が控除さるべきこと

(3)  同人の郵政事務官としての就労可能年数は少くとも一二年は存したこと

が認められ、他に反証はない。

(二)  ところで将来の一定年間に得べき全利得を一時に支払いを受けるため中間利息の控除にホフマン式計算法を用いる場合には、一年ごとに得べき利得が確定されているかぎり、一年ごとに右計算法を適用して算出した金額を合算する方法(いわゆる復式)によるのが相当である。よつてこの方法によつて前記数字をあてはめて計算するときは、同人がそのまま生存し、郵政事務官として一二年間勤務したら得たであろう利益は三三九万六六一六円(円未満切捨)となり、従つて同人は本件事故により同額の得べかし利益を喪失したことになる。

(三)  ところで本件事故については被告等は過失相殺を主張している。

内田進と被告松永の過失の比重は前者の二に対し後者は一とすべきことは前示したとおりで、そうだとすると、内田進の喪失した前記損害も右の割合によつて負担するのが公平であり、結局、内田進は被告等に対し一一三万二二〇五円(円以下切捨)の損害賠償請求権を有したものといわねばならない。

(四)  しかして争のない事実一によれば、原告等は内田進の相続人であり、その相続分はそれぞれ三分の一であること明らかであるから、同人の右の請求権も原告等に三分の一宛均等に相続されたものというべきであるが、他方、争のない事実五によれば原告等はその後、公務員災害補償金として七六万円、自動車損害賠償金として五〇万円、合計一二六万円を受領しているとのことであるから、原告等の相続債権がもはやいずれも消滅したものであることは計数上明らかである。

(五)  以上、原告等の主張(三)は結局、認められないこととなる。

四、原告等の主張(四)について

(一)  既に認定の諸事実のほか本件に現われた一切の事情を綜合斟酌すると、原告等の蒙つた精神的苦痛(最愛の人を失つた悲しみは原告の生涯を通じ遂に治癒されることはあるまいと推測される)を理由に原告等が慰藉料として原告に求めうべき額(従つてそれは失われた生命や遺族の悲しみを評価した額ではない)は、それぞれ三〇万円と認めるのが相当である。

(二)  ところで、原告等受領の公務員災害補償金及び自動車損害賠償金中原告等の前示の相続債権を超えた分、即ち一二万七七九五円は弁済の法定充当の規定を類推して右原告等の慰藉料額に等分して四万二五九八円(円未満切捨)ずつ充当さるべきであり、その結果、原告等はなお被告等にそれぞれ二五万七四〇二円の慰藉料請求権を有するものということができる。

(結論)

よつて原告等の請求は、原告内田志づ及び同内田淳の各慰藉料としてそれぞれ金二五万七四〇二円、同堀田礼子の慰藉料としてその請求範囲内である金二〇万円及びこれらに対する本件事故発生以後である昭和三七年一〇月一七日(本件訴状が被告等に送達された日の翌日)から支払済まで民事法定利率である年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度において理由があるからこれを認容し、その余の請求は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担については民訴法第九二条本文、仮執行に宣言については同法一九六条第一項を各適用し、主文のとおり判決するものである。

(裁判官 井野三郎)

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